みなさん、こんばんは^^
今日は白米が出来た経緯と玄米についてのお話です。玄米と白米、どちらが先かというと、それは玄米です。
そもそも、玄米の定義ですが、
1.モミから籾殻をはがしたもので、精米してないもの。
2.胚芽が生きており、まだ発芽できる。ビタミンやミネラル、食物繊維を豊富に含む。

玄米(写真上下は発芽させた玄米)は胚芽がついていて、色が茶色ですね。

精米=玄米表面の米ぬか層を削って白くすることです。つまり玄米を精米したものが白米です。
この白米という字を組み合わせると、 米 + 白 =粕(かす) となります。
つまり胚芽や米ぬか層を削ると、栄養がほとんど残らないんです。
実際、玄米と白米では、その栄養素は天と地ほどの違いがあります。玄米は「生きている米」で白米は「死んだ米」という言い方もできます。
白米は江戸時代の大奥から始まったと言われ、高カロリーの食事の上、食物繊維やミネラルを豊富に含む玄米食を白米食に替えた為、脚気などの病気が増えたという説があります。
白米の代表料理といえば、江戸前握りずしが浮かびますが、1824年頃には作られていたような文献があるみたいです。 アクの強い玄米よりも淡白な旨みと香りがいい白米の方が魚の味を引き立たせるには向いていたんでしょうね(^_^)
その1824年に生まれたのが、13代将軍徳川家定です。家定は34歳で死去していますが、その死因として
1.世継ぎ問題に絡む毒殺説 2.持病の脚気の悪化
などが挙げられていますが、贅沢病といわれる脚気に病んでいた家定公はおそらく白米のみを食べていた可能性が高いですね(^_^)
つまり戦国時代の武士たちは玄米を食べていたわけです。玄米にはビタミンB1.B2、Eカリウム、鉄、亜鉛、銅、マグネシウムなどのミネラルやリノール酸、そして腸内の掃除をしてくれる食物繊維が豊富に含まれています。彼らの戦闘エネルギーの素になった玄米(米)は他の小麦などの穀物に比べて、人間に最も合った穀物だと書かれている方もいらっしゃいます。
いやあ、戦国武士たち玄米を食べていた、と考えると、ロマンを感じませんか?(^_^)
それではまた明日、ごきげんよう(^_^)
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